人生は、中断したっていい

本が読めない人でも大丈夫な読書案内

効率的でも戦略的でもない世界線

関東にも雪が降るほどの、寒さの底の季節。

ちょっと気になって、幾つかのSNSの検索窓に「進路」と打ってみた。著名人や教育産業にいる人達が、文字や動画を通してそれぞれの思うところを発信している。

人生のより良い選択肢を得るための、より無難で効率的で(”バカじゃない”)戦略としては、

  • 特段やりたいことも決まっていないなら大学に行った方がいいし、
  • いい大学に行った方がいいし、
  • いい会社に就職した方がいい

声高な人は皆、同じようなことを言っている印象を受ける。

一方、大学に進むケースについて、進路選択の観点として「自分が何を学びたいか」が最も大事だ、という至極まともな結論を示しているコンテンツも、思いの外多い。

 

無難に考え、効率的に振る舞うことができ、バカじゃない選択をしかるべきタイミングで取ることができた場合。そういう場合は、特段困らない。

そういったことを難なくこなす人も世の中にはちゃんと存在するし、ある程度そうすることで自分と現実の調整をしながら坂を登れる人も多い。

問題は、そのどれかのセンスが絶望的に欠けているか、ベストタイミングで全てが手から滑り落ちていた人の場合、そんなことを言っていても始まらない、ということだ。

何も始まっていないのに、もし「そんな奴は、ジ・エンドだ」と自分で思い込んでいたり、他人に言われたりするのだとしたら、「おいちょっと待てよ」と言いたくなる。

 

ほとんどの人が幼稚園児の頃には認識してそうな常識なので、別にわざわざここで復唱する必要もないと思うが、「いい大学に行き、いい会社に行き」という行程は、一方通行の片道切符で、特に日本では、年齢が既定の路線から大幅にずれてもいけない。

さらにここで一つ加えたいのは、その先無難に会社に雇ってもらおうと思ったら、人生にいろいろありすぎてもいけない、という落とし穴だ。

人生にいろいろあってもいいのは、<順調に大学を卒業し、まぁ就職もできて、お金も自分が暫し困らない程度に貯まった時点がスタート地点、それ以降に限られる>という、まことに不可解な実情がある。そのことについては、またどこかで書こう。

 

万人が「できるだけいいところへ、いいところへ」と行進する競争の中で、器用に泳ぎ切り、かつ幸運にも人生のビッグイベントや災難からの影響をまともに受けずに過ごし、そのスタート地点まで辿り着くのは、なかなかにハードに思える。

100人いたら、一体そのうちの何人が、そのスタート地点まで残っていられるのだろう。

災難には合わなかったとしても、少し行き過ぎた出来心や、勢いに乗り過ぎた逸脱、変化球すぎる発想の元に辿った経歴の持ち主も、無難な社会からは「入店お断り」と言われるとすれば、世の中的には、なかなかに貧相でつまらないようにも思える。

今日の一冊:『私は私のままで生きることにした』
キム・スヒョン著/吉川 南訳
株式会社ワニブックス、2019年3月

一方通行の片道切符しか売られていないのは、人生ではなくて、社会の方だ。

自分は自分のままで、自分の人生は自分の人生のままで、愛していい。

そうしたことをいつ忘れてしまうのだろうか。何歳で思い出せるのだろうか。

物心ついた頃に、その素朴な真実が、世の大人の抱く強迫観念とすり替えられてしまって、気づけないままなのかもしれない。

それをふと思い出そうと、腰をかけることができたときのための本。

さて、今後この場では、効率的で、バカじゃなくて、戦略的な生き方・考え方は、顧みないことにする。

大義名分があるわけではなく、単に私が、そうした要素やスキルを生まれたときに落としてきたのか、少なくとも脳みそが柔軟な時分にちゃんとインストールすることなく成長し、かつ、人生の絶妙なタイミングで大きく斜めの方向に舵を切ってしまった人間だから、というのが理由だ。

合理性も戦略性も、語りたくないのではなく、語れないのである。

 

なので、それらを一切無視した前提の世界線で、「そんなことを言っても始まらない」の先を、振り返ってみたい。

そして、その世界線で、もう一つ残っていたテーマについて眺めてみたい。
「あなたが、何を学びたいと思っているのか」という問いの方である。

(今日はここまで)