人生は、中断したっていい

本が読めない人でも大丈夫な読書案内

居場所のない社会と、自分の<未来の像>の話

想像してみてほしい。あなたが17とか18の歳で、この先のことは何も決まっておらず、過去からも未来からも完全に切り離された更地に立つことになったとしたら。

少し別のシナリオを考えてみてもいい。たとえば私に15歳から18歳くらいの子供がいて、彼か彼女が、急にそれまで属していた環境やら文脈やらを放り出した(あるいはそこから放り出された、宇宙の謎の法則によって半ば強制的に)としたら。

今の私だったら、彼/彼女に、こうアドバイスするだろう。「オーケー。まぁ、高卒認定は何かで追々取得するとして、バイトでもしながら計画を立てて、どこか海外にでも旅行に行ってみたらどうだろう。」

年齢によっては一人で異国をバックパック旅行をするのは、些か危ないかもしれない。それであれば大人として旅に同伴し、行先の主導権は彼らに託して、一緒に安宿に泊まろう。

もし義母の口ぞえがなければ、すみれはおそらく一文無しで、そして必要な量の社会的常識と平衡感覚を身につけないまま、この現実といういささかユーモアのセンスを欠いた−もちろん地球は人を笑わせ楽しませるために身を粉にして太陽のまわりを回転しているわけではない–荒野に放り出されていたことだろう。(p.17)

それまでたまたま乗っていたレールから「やっぱり外れたい」と思うか、「一度保留にしたい」と思って列車から一人降りたとしても、世界自体が無くなるわけでもないし、あなたの居場所が消失するわけでもない。咲いていた花は変わらずそこに咲いているし、あなたが生まれたときにあなたを迎え入れた世界自体は、当時とたいして変わらない姿でそこにある。太陽はまだ一つのままだし、大陸が増えたり減ったりもしていない。

ただ、幸か不幸かそれまでの文脈から下車する事態に遭遇したのであれば、今までとは見える景色や聞こえてくる言葉達に少し変化を加える必要がある。次に乗る列車を見つける必要があるからだ。ずっと徒歩で進むには、世界はいささか広すぎる。

 

実際の18歳の私は、<学校>という場所から離れた途端に、この世界から自分の身の置き場を見失った。自分が学校に行っていないだけで、「申し訳ないけど、あなたが存在できる余地はないんですよ」という音圧が、家やら世間やら、ほぼ全方位のスピーカーから伝わってきた。実際には家族はそんなことは一言も言っていない。それでもまるで霊媒師になったかのように、世界からの声が自分の胸に入ってきて、「私がここ(家)にいたら迷惑になる。自分の存在が家族を傷つける」と思わずにはいられなかった。

学校に行かない(=行けない)という設定になった途端にそこに存在する余地を剥奪されるというのは、正直なところ、かなり衝撃的だったし驚きだった。呑気な私は勝手に心のどこかで、学校の外側には多様で深くて示唆に富んだ<社会>みたいな何かが存在していると、期待していたのだと思う。でも実際には、そうしたものの影すら見当たらず、ひたすらツルツルの空間が広がっていた。

テレビから聞こえてくるコメンテーターの言葉と<世間>のみで世界が覆い尽くされている地元にいても、埒が明かなかった。というか、気が狂いそうだった。そこでとりあえず都会に出てみることにした私は、人混みの中を暫しフラフラしている間に、実に多様な老若男女と出逢うことになる。不思議なことにその頃に出逢った人達は、私がそのとき何者でもなく、どこかに所属しているわけでもなく、何をしているわけでもないことを、わざわざ質問してくることも、咎めることもなかった。50代の主婦から見ても、大学生から見ても、脱サラをして人生保留中の20代から見ても、高校を卒業した後で進路に迷っている同世代から見ても、はたまた三島由紀夫を愛読しキャバ嬢で生活費を賄う日本人形のような美人から見ても、私はただ、背の高い、〇〇という名前の女性で、年齢すらどうでもよさそうだった(実際まだ十代なのに20代後半と言われたこともある)。

社会はたしかに多様だった。そのことに随分と安心したし、漸く肺の奥まで息を吸えるようになった。私は私として、そこにいることが許されていたし、ただの私として他人の目に映ることで、ただ存在することができていた。未だに、あの期待していた<社会>という大気圏があるかどうかはよく分からなかったし、都会の雑踏の中で、私の両足は宙に浮いていただけかもしれないけれども。

 

そうして彷徨いながら丸3年近く、何ができるわけでもなく、同時にまともに活字が読めない時間を過ごしたあと、リハビリ期となる4年目が訪れることになるのだが、突破口を開いたのは村上春樹だった。最初に手に取った作品は、実家にあった『ノルウェイの森』だったはずだ。「当時クリスマスカラーで、すごく話題だったのよ」と母が言っていたが、実際に買ったのは母と父のどちらだったのだろう。

その年私は一転して、高校の卒業資格を取るために通信制高校編入し、残っていた単位を取るための僅かなレポートを出す以外は、エミネムDavid Bowieのアルバムを聴いて独りこもる生活を送ることになった。リハビリとは言っても、とにかく「読めそう」「読みたい」と体が反応する本を手に取って、少しずつ馴染ませていくしかなかった。

一度だけ、高校時代の数学の参考書を開いてみたことがあるが、コンマ1秒、バンと音が鳴る勢いで閉じていた。どうやら受験勉強的なことをしようとするのは、一人でピラミッドを押して動かそうとするくらいに「不可能」なことだと悟り、一旦あっさり諦めることにした。とりあえずはどこでもいいから、狭い間口でもいいから、進めるところを探して進むしかない。進めるか、進めないか。リトマス試験紙にかければはっきり反応は出るので、そんなに悩む必要もなかった。

今日の一冊:『スプートニクの恋人
村上春樹(著)
講談社、1999年4月

なぜかこの本だけ自分の本棚に見つからないので、Amazonで中古を取り寄せて読み直してみると、現実世界との不思議なシンクロに気づいた。作中のミュウと現在の私は同じ年齢だし、後に自分が大学で専攻したのも”ぼく”と同じ歴史学だ。

あの頃一人部屋にこもっていた私には、人生の航海の只中、自分がいったいどこを彷徨っていて、どこへ進もうとしているのか(進み得るのか)、判断する材料をまったく手にしていなかった。「あなたはそこに居ていい」という視線を年齢も出自もバラバラな友人達からもらっても尚、自分が次に乗るべき列車を見つけることができないでいた。それは、宇宙の中で一人散り散りになりそうな恐怖でしかなかった。

それでもこの話を読み進めたとき、「私はミュウだ」と咄嗟に感じた。あるいは、きっと未来の自分は彼女のように生きているだろう、という感覚を抱いた。

当時の自分からは微塵も想像がつかないし、少しも繋がらない未来像だったが、小説の中の彼女は、私に今何が起きているのかを説明した上で、その先で大人になっているペルソナを見せてくれているようだった。実際に歳をとった私はミュウのようにジャガーに乗ったり、会社を経営していたりはしないけれど、18のときにも、28のときにも全く想像しなかった形で暮らしている。

私は高校に行かなくなった時点で、否、正確には文字が読めなくなった時点で、自分の一部を失っていた。それは、この物語を読んでいる際に、はっきりと体感で確かめることができた。ただ、今後生きられるのかどうか不確かさしかなかった間は、その失ったはずの残骸にしがみついたままだった。

いつか生きるかどうかの迷いがなくなったとき、あなたの中で何かが失われたことは、向こう岸の景色として目に見えるようになるかもしれない。「何かを失ってしまった私」と地続きの世界に、「生きることになった私」はいない。人生において何か決意が与えられるとき、私達は、今いるところからは<非連続>な自分へとジャンプする。無意識にぴょんぴょんと飛べる人もいれば、わりと大掛かりなプロジェクトになることもあるだろう。それでも物語は必ず続いていくから、そんなに心配しないでほしい。

 

(今日はここまで)