人生は、中断したっていい

本が読めない人でも大丈夫な読書案内

兎の穴に落ちた日のこと

前回、私は人生の絶妙なタイミングで大きく斜めの方向に舵を切ってしまった人間だ、と書いた。だがそれは、かなり格好をつけた言い方で、実際に起こったことの様相はだいぶ異なる。「斜めの方向に舵を切る」というと水平方向のどこか、あるいは上空に的を定めたみたいな言い方だが、私は現実には、穴に落ちた。

 

高校三年生の春に、穴に落ちたのである。アリスが兎を追いかけて穴に落ちたように。

 

当時のことを思い起こすと、自分の前を本当に兎が駆けていたかのような錯覚を覚えるのは、丘の上にある高校を午前中に抜け出し一人斜面を降りている場面が、いつも浮かぶからかもしれない。

 

まだ授業真最中の教室から飛び出し、咄嗟に丘を降り始めていたのは、<その場にいられない>という最もな混乱と困惑が、脳から心に爆速で到達したからだった。新学期になって急に学年全体が受験モードになった空気の中、私は机の上の教科書やプリントの文字が読めなくなっていた。

夜中に金縛りにあって目がさめたときの如く、不意にその状況に自分の全身がハックされたような、喉から声を絞り出して抵抗したとしても無意味だと思わせるような、急で圧倒的な何かだった。

 

母に作ってもらった弁当を持って朝学校へ行き、それでもすぐに居た堪れなくなって午前中の途中に学校を抜け出し、丘を下る。というサイクルを何度か繰り返した。それは実に、二ヶ月近くにわたる期間だったようにも思う。

 

周りの反応は、困惑、怒り、無視というのがあって、級友の大多数は三番目だった。

大人達の反応は、怒り狂うか、心配するか、かなり時間差があった後に困惑するか、のどれかだ。大人の反応というのはそんなもんだろう、と思う。とても人間的だ。

 

不思議なのは、私は当時、周囲に「字が読めない」ということをきちんと伝えなかったのだろうか?ということだ。

伝えるのを憚って、上手く言えなかったとしても不思議じゃない。きっとそれは「チョッキを着た兎を見かけて追いかけた」というのと同じくらい、すっ飛んでいることだった。

伝えようとして、結局ろくな伝わり方をしなかったとしても、全く驚かない。世の中でこの問題をまともに捉えることができ、正しくアドバイスができる人は、実は滅多にいない。ほんとうに滅多にいないのである。

今日の一冊:『山の園芸屋さん エゾシマリス (命のつながり3) 
佐藤 圭 (著・写真)
文一総合出版、2021年10月

なんと北国のシマリスは、一年の半分近くも冬眠して過ごすらしい。

生きる、ということだけが、そこにある。

生きる、の中にあるのは、

色とりどりの花を愛でたり食べたり、

遊んだり、ドキッとすることがあったり、

自分が生き延びるための食糧を必死にかき集めたり、

じっと静かに(うとうとしながら)たくさん休むこと。

「字が読めない」という切実な難題に対して、知恵袋のベストアンサーに、素晴らしい回答があるのを見つけた。

その人が今迫られている現実から一旦離れて、“海でぼんやりしたり、山の木々の中をゆっくり歩いてきてください。 歌を歌ったり、公園の芝生で寝転がったり、暖かい日光にあたり、裸足で芝生の上を歩いてみてください。”

最近は、<ストレスによって字が読みづらくなる症状があり、数ヶ月きちんと休むことができれば、緩和されたり治ったりする>という解説はわりとポピュラーなものとして見かけるし、それで回復できれば何よりだ。

 

ただ、事象の根が深ければ深ほど(知恵袋には実際に、厄介そうな状況を抱える人が確実に存在していて、少し驚く)、事態を解決しようと思ったら、かなり大掛かりな行程を踏まないといけない可能性がある。

そこには【今迫られている現実から離れる】ことの難しさがある上に、今の現実から暫し離れた後にただ元の同じ状況に戻るのではなく、【別の新たな状況を構築しなければいけない可能性がある】ということの大変さがある。

大人で、仮に今の仕事や職場が原因として絡んでいる場合、しっかり休んだ後に職場を変えることで「新たなシナリオ」「新たな設定」に移行できるかもしれない。それはそれで、とてもとても大変なことだけれども。

 

間も無く18歳になろうとしていた当時の私は、その後どれだけの時間をかけて、どれだけのステップを踏む必要があるのか、全く想像できていなかった。

おそらく、私はその後の過程をかなり拗らせてしまった方だと思う。ただ、そこをエレガントに通ってしまったならば、上手くいってすんなり解決しただけの、ひょっとすると鼻につく人生だったかもしれないし、そうすれば何かを書こうともしていなかっただろう。

 

ちなみに、ずっと後になって占星術に興味を持つようになり、ちゃんとした人に鑑定をしてもらった際に指摘されて驚愕したのだが、私の生まれつきのホロスコープには、とても明白にこの「字が読めなくなる事件」が書かれていた。おまけに、拗らせてエライことになって生き返る、という星回りでもあったから、ある程度は避けられなかったのかもしれない。そんな運命の、人生の不思議さについても、いつか書いてみたいと思う。

 

(今日はここまで)